コピーが数十年後、実業に

「すみません、ほぼ日の経営。」を再読した。

「第一章 ほぼ日と事業」の密度が濃い印象を受けた。

なぜ「第一章」なんだろう…?

それは、語り手の糸井重里(敬称略)がコピーライター、ほぼ日を経て、数十年のあいだ、なんども問い続けてきたことがコトバになっているからだと思う。

けれど、「第二章」以降は、おもに、ほぼ日が上場したのち、勘案されたコトバだと思うんだ。

練られたつづけた時間のちがいと言えそうだし、(失礼ながら)後者は、ハツラツとした若い年齢ではない、ということも関係しているのかもしれない。

個人的には、上場してからのコトバは、なんか、つけたしている印象があったりして。

ハナシを「第一章」に戻すと、(とくに上場前の)ほぼ日の旗印は、30年以上前に糸井さんが書かれたコピーで語れてしまうと、まぁ、そんなことを言ってしまいたい。

ちがう言い方をすれば、西武デパートのコピーで言っていたことを、じっさいに、こんどは「ほぼ日」でやっているとも言えそうなんだよねぇ。

(1981年)

不思議、大好き。

世界の七不思議だけじゃない。シンセサイザーだって、小説だって、今日のお天気も、おいしい料理の味つけも、編みこみのセーターも、いい音楽も、人間のカラダも、美しいティーカップも。みんなみんな、心ときめかせるものは不思議でいっぱいだ。不思議の近くには感動とか発見、幸運なんてコトバがいくつもかくれていそうだから、誰でも、不思議が大好き。これを1981年の西武のテーマにしたいと思います。

(1982年)

おいしい生活。

甘いばかりじゃ、退屈です。辛い、苦い、酸っぱい、渋い、といろいろあるオトナの生活。問いたいのは味であります。身も心もとけるようなおいしさ。よく噛みしめてわかる深遠なるおいしさ。ちょっとくせのある不思議なおいしさ、味のないのは嫌いまずいのはダメ。自分のおいしさをさがすトリップは、そのまま、自分の生活をさがすことらしい。おいしい人に逢って、おいしい本を読んで、おいしいファッションを見つけて、おいしい時間をすごす。そんな生活、理想に終わらせたくないなあなたと一緒に、西武も、もっと食いしんぼうになるつもりの千九八二年です。

(1987年)

ほしいものが、ほしいわ。

ほしいものはいつでも、あるんだけど、ない。
ほしいものはいつでも、ないんだけれど、ある。
ほんとうにほしいものがあると、それだけでうれしい。
それだけは、ほしいとおもう。

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!