自分の歴史の知識は全てと言って良いほど司馬遼太郎に依っている。バイアスが大きい。ちなみに司馬遼太郎全集の半分くらいは読んでいる。
(他の歴史小説も同様だと思うけれど)司馬さんのそれは分かりやすい物語で描かれている。歴史の教科書や専門書と違い物語なら最後まで読み切れる。
現在でも村上春樹の小説は多くの人に読まれている。それは物語の面白さにある。ただし内容は、けっこう哲学的な領域が描かれていたりもする。
夏目漱石は当時、帝国大学の教授だった。その頃はステイタスが高く、安泰な地位にあった、
にも関わらず教授の職を捨て、当時、ベンチャー企業であった朝日新聞に入り、同紙に小説を連載した。生活していけるかどうか悩ましさを綴った随筆さえ残っている。
漱石は各地で講演を行っている。講演をまとめた講演集を読むことが出来る。講演は対象に合わせて内容を選んでいる。漱石は、「俺の言うことが分からんのか」ではなく、対象に合わせて語る人だった。
漱石が朝日新聞に小説を書いたのも、自分の考えを物語にして、より多くの人に伝えたかったと、まぁ、そう推察している。漱石の大学生を対象にした講演を読むと、漱石の哲学的な探求に触れることが出来る。
哲学書というのは難解だ。読んだことがある人なら、ほとんどそう思うだろう。ただし内容以前に翻訳がダメなんだと思ったりもしている。
漱石は英語で、鴎外はドイツ語が読めた。小林秀雄はフランス語が読めたでしょう。
(たぶん)フランス語と日本語は、だいぶ違っていて。翻訳するのは困難ではないか。ベルクソンは、ほとんど分からないもんネ。