村上春樹の言葉遣いはクリアだとおもう。ただ小説そのものは難解である。その点、旅行記は抽象的ではない。旅行先の描写がつづられているので、分かりやすい。
先日、「雨天・炎天」を再読した。ギリシアのアトス島とトルコの旅行記は、もともと単行本として別々になっていたのかもしれない。僕の読んだ本は、両編いっしょに収められた文庫本である。
アトス島はギリシア正教の聖地らしい。著者とカメラマンと編集者は、島に点在する修道院に宿泊しながら、島内をめぐる。形而上的でなく、土着的な雰囲気を持っている。そのようなことが書かれていたとおもう。どこのパンがおいしいとか、行き先でかならず出される何とかというお菓子がどうだとか、食べ物の記述もあった。
トルコへは(国内を移動するために、わざわざクルマの免許をとったり)準備をととのえ、期待して行ったようだ。でも思ったより良い印象はなく、最後の方は、かなり投げやりになっている。トルコ領内のクルド人のいきさつは分かりやすかった。クルマから一瞥(いちべつ)する白い衣装を来た少女の描写は幻影的でイメージが喚起された。
ところで、作家がどのようにメモをとっているのかは、分からないものである。だが本書には、旅行記用の日記について記されている。このような感じだ。
クルマの中では字が書けない。ホテルには日記をつけるようなテーブルがない。だから休憩で入ったカフェのなかで、それまであったことを、ちくいち書いておく。次にいつ書けるか分からないし、書けるとき書いておかないと、あったことをすぐ忘れてしまう。いろいろ似たようなことが起こるので、前後がすぐに混乱してしまう。移動のさいは、とにかくなんでも良いから、こまかいことをすぐにメモすることが肝要である。