「暴力の人類史」を読み終えた。
中断したりして、読了するまで、えらく時間がかかった。
著者のスティーブン・ピンカーは、1世紀単位の俯瞰(ふかん)した視座で、暴力死の減少を例証し説明している。
それに反して、なんとなく近年になるほど暴力死が増えている感じがするのは、情報化が進み、暴力的な情報を見てしまう機会が増えたからだと思う。
本書では、暴力死の減少は、世紀が進むにつれ、人がらが優しくなったから、とはしていない。
人の外側の事がら、たとえば権利、公平、フェミニズムといった理念が、教育により実際に根ざしていったから(というふうに書いてあると思う)。
さらに、ほぼ最終章で、「囚人のジレンマ」を援用して、暴力の減少を説明している。
「囚人のジレンマ」 については機会があれば、改めて書くとして、
要は、損得でみたばあい、暴力は合理的ではない(というふうに書いてあると思う)。
一方、ダライ・ラマは、暴力に対して違うアプローチをとっている。忍耐の必要性を説いている。
ちなみに、ダライ・ラマは日本語をしゃべらない。英語で語られている。忍耐に対応するtoleranceという言葉が使用されている。
僕達の使う忍耐は、なんていうんだろう、我慢するような、縮こまった印象があるわけだし、
それに対し、少なくとも、ダライ・ラマのいうtoleranceはもっと動的な使い方がなされている。こちらも機会があれば書いてみたいと思う。