ディープラーニングという手法により、AI(人工知能)が勢いづいているみたいだ。それにより便利になると思うけれど、なにかと心配する声もきこえてくるような。

ま、でも、これからのことって分からないよねぇ。気やすめていどになるとおもうので、ちがうアプローチをしてみます。

うるおぼえだけれど、ぼくは中学生のとき、100メートル13秒か14秒くらいで走れたとおもう。どちらでも、いいや。とりあえず14秒というタイムにしておこうか。

100メートル14秒なのだから、1キロメートル(1000メートル)なら140秒かかる。10キロメートルなら1400秒だ。1400秒は約23分である。中学生のとき、ぼくは23分で10キロメートル走れたことになる。

だけど、これは、単純に計算したから、そうなるのであって。じっさいは、そんなことはありえない。いくら若いといっても、生身のからだから、その速さのまま10キロメートルは走れない。

機械(クルマなど)ならできる。機械は息がきれない。人よりタフである。

ついでにいえば、スピードだって、かなわない。高速道路の制限速度は時速100キロメートル。1時間で100キロメートルだから、30分で50キロメートル走ることになる。新幹線なら30分あれば、100キロメートルは走るんじゃないかなぁ。

ま、おおざっぱにいって、ぼくの中学のときの100メートル走にくらべ、新幹線は10倍はやい。しかも100メートル走のスピードをたもったまま30分も走ることは、ぜったいできない。

あっ、ハナシがながくなってしまいましたな。

なにを言いたいかというと、そういう機械が出てきたら、人はかなわない。まかせざるを得なくなる。でも、そうなっても、あいかわらず人は走っている。機械を利用せず、そのまま走る機会は数えきれないほどあるじゃない。人を追っかけるとかサ。それどころか、毎日、時間を決めて走っている人も多いよね。かなわない性能をそなえた機械にたよる社会になっても、あいかわらず、人は走るものである。

人工知能が浸透しても、似たようなかんじになるんじゃないかなぁ。人工知能が主流になっても、あいかわらず、人は記憶したり考えたりするとおもうんだよね。ワンクッション置く人工知能より、自分の頭でやった方が要領がよいこともあるだろう。趣味や健康のために、頭をつかうことこともあるだろう。なにより自分で考える充実感や、友人との直接のやりとりは得がたいとおもうんだわ。