おおげさかしらん。ま、でも宇宙という現象と言ってしまおう。その現象は、次の瞬間には様相はかわっているかもしれない。いや、瞬間などと言ってしまうと、時間を指向してしまうけれど、そもそも時間さえ存在しないのかもしれない。空間だって、存在していないのかもしれない。
存在しないかもしれないが、人間の脳はそれでは不都合なので、時間や場所があるというふうにしてしまっているし、あるいは、
現象は、刻々、変わっているにもかかわらず、脳は変わらないように思い込むように設計されているかもしれない。
ベストセラーになった『バカの壁』(養老孟司)には、つぎのようなことが書いてあったようにおもう。本棚から引っ張りだして、読み返すのは面倒なので、うる覚えだけれどネ。
人間の細胞は日々、入れかわっている。何ヶ月か、何年かたつと、すべての細胞は入れかわってしまう。なのに、人間(の脳)は自分が同じ人間だと認識している。ま、アイデンティティが保たれているというわけである。もし保つことができなければ、人間は発狂してしまうだろうよ。
じつは、ここでは(本日のブログでは)社会状況は時代とともに変わっていくという主旨に発展させて書いていくつもりだったが、収集がつかなくなってしまいました。なので、違うことを書いてみます。
バーチャル・リアリティについて。
ことしは、それを実行するための機器が、いくつかリリースされる。「バーチャル・リアリティ元年」などという見出しも、どこかの新聞か、新聞系のネット情報で見たような気がする。すでにフェイスブックはOculus Riftを出荷し、10月にはソニーがPlayStation VRを発売するらしい。
Oculus Riftも、PlayStation VRも、スキーのときのゴーグルのような形状の機器を装着するけれど。そもそも、ぼくたちがフツーに見ている日常や景色だって、いちおう生身の目を通しているものの、脳が作り出しているバーチャルかもしれないよね。オルダス・ハスクリーの『知覚の扉』などを読むと、脳は状況によって、まったく違った現実をつくり出しているわけだしサ。で…あ、書くことがなくなっちゃった。