さいしょのころは、なんの疑いもなく、息を吸うように取材をしていた。
その手間賃をいただくのも、眠くなれば寝るように自然のことだった。
それが、いつのまにか、取材でいただけるお金は手間賃ではなく、新聞や雑誌といった媒体費からのおすそ分けだと思うようにもなった。
企業から得る媒体費は多額で、そのおすそわけが回ってくるだけじゃねぇかといった、ニヒリズムが忍びよってきたわけネ。
それは、たぶん、
ウェッブがイキオイづいてきて…「他にもあるやん」的になってきて…いまままでそれしかなかった旧来の媒体の価値が下がってしまっことに起因するだろう。
ずっと、やって来たことを、ちがうようにとらえるのは、むつかしい。
ことばで言うのはカンタンだけれど、ほんとうに、そのように思えるようになるには、頭ひとつ変えるくらい、むつかしい。
誰しも、頭ひとつ変えるには、新しいことに(このばあいウェッブに)相当な時間を投入することが必要に思える。
個人的には、ほかの人が思う以上に、ウェッブは革命的だと思っていて。
さいしょにウェッブがあり、次の、いわゆるウェッブ2.0と言われるものも革命的だった。
ウェッブはじぶんで作る感じがあったけれど、ウェッブ2.0以來、そんなことをしなくても、出来合いのもが利用できるようになった。
たとえば、ツイッター、であり、たとえばフェイスブックやインスタグラムなどだ。
現状は、もう媒体という感じはなくなっているわけで。あえて言えば、プラットフォームだ。
そしてプラットフォームがふつうになり、取材に対するイメージも変容していった。
取材は、もう媒体に書く必要なんかないんだ。書くことは目的ではなくなった。
要は機会さえあればよい。縁があれば、プラットフォーム上で聞きたい人に聞いてもいいし、じっさいに合って聞くだけ。これも取材というか、取材的なわけ。
そうすると、従来の、ひと(企業)から頼まれて取材をするというのは、ただ手間がかかるだけ、という感じなんですねぇ。
いま、なにかに熱中している。分からないことは聞いてやろう。そんなスタンス。