このブログを定期的に見ている人などいないだろう。そう期待しているわけです。
ブログは書きっぱなしで、しかも漱石からJavaScriptまで同じ内容を繰り返して書いている。
それは同じ内容を書くたびに、上手に書けるのではないかという期待があったりするからだ。
さいきん、宇多田ヒカルのアルバム「初恋」をよく聴いている。
期待していただけに、とうしょは期待はずれだと思っていた。
けれど繰り返し聞くうちに、期待どおりのものであるという感想を抱いている。
タイトルは覚えていないけれど、とくに最後の2曲が気にいっている。
まず宇多田ヒカルの歌詞全般、従来の日本語とはちょっと違った感じがするんだ。
ひらたく言ってしまえば、英語っぽい日本語なんだわ。そのへんは小説なら、たとえば村上春樹も同様。
勝手なことを言えば、最後の2曲のうちの1曲は、瞽女(ごぜ)さんであった祖母が雪の中を一件一件農家を渡り歩く心象が広がる。
そう書いてみて、宇多田ヒカルの歌はアメリカっぽさと日本らしさのハイブリッドな感じと書いてみたけれど、やはり、うまくは言えないや。
あと、言葉では言っていない言葉がある(つまり演奏をふくむ音で言っている言葉さえある)といったことに気づかせてくれたのは、宇多田ヒカルであり小沢健二の曲なんですねぇ。