ネットで「体系」を英訳してみる。「system」と出る。「系統」も、やはり「system」だ。ネットで検索して、それを前提にするのもどうかとおもうけれど、「体系」も「系統」も「system」である、としよう。
「system」は、ほかの多くの言葉と同様、そもそも日本にはない概念で、明治になって、漢語あるいは仏教語から、それらしい単語をみつけて、それを充てたのではないか。そうおもってしまう。
さらにネットで調べてみると、どうやら「体系」や「系統」は、生物の進化を示すものとして現出した言葉みたいな。
魚があり、両生類があり、爬虫類、哺乳類と続き…まるで木の枝が分かれていく、ほら、あの図ね。
ダーウィンの書いた本を読んだことはないけれど、きっと、その都度その都度、強いものが生き残り、弱いものが淘汰され、こういう図式になっていくんじゃ…ない?
今西錦司、こちらの書籍は読んだことはある。
先生は、ダーウィンのこの説に異を唱えていらっしゃる。淘汰されるのではなく、むしろ生物は棲み分けるというものだ。
馬のひずめは指である。左足右足それぞれに、ひとつしかない。けれど、かつて、それはちゃんと5本の指があったりした。
それが、3本になり、1本、つまり、ひずめになって行ったわけね。
今西先生は、それは、その馬があるエリアに現れ、世界に広がったのではなく、あるとき、世界中に同時にパッと現れたとしている。
こう書いてみると、今西錦司は系統的な考えが好みではなかったのではないかとも、おもってしまう。あ、これ、あくまでも個人的な意見ね。学術的にどうのこうの、は、もし気になったら、ちょんと調べてくださいよ〜