夏目漱石は、よく読んだ。それでも、全集にすれば4分の1ていど、だろうか。
漱石の、とりわけ後半の小説は、男女の三角関係が描かれている。
そして、その関係は、近代日本の立ち位置を象徴している、という説がある(おー、大きく出たぞ)。
けれど、じぶんなりに漱石を読んで来て、ご自身で書かれた、そのような文章に触れた記憶は、ない。
たぶん、それは後世の評論家たちによる解説だと、おもう。
吉本隆明は「夏目漱石を読む」という本を著述した。僕も読んだ。その中には、その「日本人の立ち位置」説が書かれているらしい。
あえて「らしい」と書いたのは、記憶にないからである。
漱石と村上春樹は、ときどき比較される。
漱石の「こころ」が発表された100年後、「多崎つくる」は刊行された。
名古屋 の高校に仲良しの5人組がいた。5人は、ひとつになっていた。しかし、卒業後、そのケミストリーは消滅していく。その間、主人公には、傷みやストーリィが生じる。それから主人公は年数を重ね、沙羅という恋人に出遇う。彼女はメンターのような存在(だとおもう)。ちなみに、沙羅という女性は実在しない概念上の、村上春樹がときどき使う、イデアのような存在のような気がしている。と同時に、ヘルマン・ヘッセの「荒野の狼」が思い浮かぶ。
そして、そこにはまた、漱石の「日本の立ち位置」説と同様、日本の置かれている、なにかの象徴を感じてしまう。
いつか、このブロクに、そのようなことを書けたら良い、とおもったりしている。