AIとチベット仏教

AIは、ひとを超えるのか。そういう議論がある。

個人的には、脳に還元される(脳をモデルにする)ことは、AIで実装されるとおもっている。

その境界線にあるのは意識だろう。意識が脳によるものなら、AIも意識的になるかもしれない。

チベット仏教は、こころを分析する哲学ともいえるでしょう。

こころは脳にはない。むしろ、こころの成長が脳を変容させるという。

ちなみに意識や自我には、はじまりもなければ、おわりもないという立場だ。

静かなブームとなっているチベット仏教は、過熱するAIに対する無意識的な批判なのかもな。

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!