仕事がら、取材を多くやってきた。
取材について、アタマをスイッチしなければならない仮説を書いてみようとおもう。
従来の取材は、その内容が、新聞、雑誌、それにパンフレット等に掲載されることがデフォルトになっている。
そして取材は、テープ起こしを行ない、構成を練り、原稿となっていく。
さらに原稿は、広告なら、広告主(多くは広告主→広告代理店→広告制作会社)のチェックが入るし、新聞や雑誌の記事なら、編集のチェックが入る。
フェイスブックやツイッターといったSNSは、言うまでもなく、じぶん自身で発信している。
なので、基本的には、媒体に頼らないし、(お金を出す)スポンサーの意向も入らない。顔出しのYou tubeも、このさい、SNSと言って良いでしょうねぇ。
(フェイスブックやグーグルのアルゴリズムによる任意の広告が貼られているじゃないの、というツッコミは鋭いけれど、ま、それは、ここではスポンサーの意志が反映されないというニュアンス)
いままでインターネットに「市民権」を与えたウェッブを、とても評価していた。その一方で、SNSを軽視していた感じである。
でもね、さいきんは、空気のように当たり前だった媒体を相対化してしまったSNSは、とても大きな存在だと思うようになったわけ。
「メディアは俺だ。」
「フルネームで語れ。」
これは、ツイッターもフェイスブックなど想像もつかなかった次代のキャッチコピーだ。先見性があった。
明日に続く…かも。