これは、覚書のようなもの。不確かであります。
この2、3日、啓蒙主義について書いている。ピンカーなど、読んでいるせい、じゃなかった、読んでいるおかげだ。
日本では、明治の世になり、西欧の合理性はわりとスンナリ理解された。
それは江戸時代には、すでに商品経済が発達していたからだ、という説がある。
そもそも、商品経済という言葉を理解していない。
井原西鶴は読んでいる。
「曽根崎心中」は大好きである。そのタイトルは知られているだろう。
本書、あるいは「冥土の飛脚」に為替が出てくる。
女性といっしょになるために為替に手をつけたのか、逆に、為替に手をつけたために女性と駆け落ちしたのか、忘れてしまったけれど、ま、いずれにせよ、元禄時代には、江戸から大阪に現金を運ぶ変わりにすでに、為替が利用されていた。
大阪堂島に、米の先物取引があったことは周知のとおりだ。
西鶴の「日本永代蔵」を読んでも、その当時すでに、お金は、現物のお金だけでなく、お金を抽象化した概念が商人たちに応用されていたことが分かる。
その数字の操る下地が、明治期に輸入された西欧の合理性の理解に役立っているという説ネ。