「大塩平八郎」

鴎外の小説の改題、そして自身の解説に触れると、鴎外の時代小説は資料を元に、かなり作文されている。

ちなみに司馬遼太郎の場合も同様と言える。

しかし、読者、少なくとも僕は、それが事実のように小説のページをめくっていたりして。

一方で、僕は「これはフィクションだよね」というふうに、ブレーキをかけながら読んでもいる。

読んだあとは、作者の批判している点に思いがおよぶ。

(この際の、批判、というのは、作者のコンプレックスとつながっているような気もするけれど)

鴎外の「大塩平八郎」は、現在に通じる、江戸時代の官僚の様子が伝わってくる。ご存知の通り、鴎外は定年退職するまでずっと官僚だった。なので、自ずと鴎外の官僚批判が含まれていたりもする。鴎外の時代小説を読む上で、その点が面白い。あとは鴎外の文章のうまさ。

「大塩平八郎」には付録が付いている。以下のように書かれている。参考になる。

(鴎外は、まず史実としての時刻を箇条書きにし、その上で)

「時刻の知れてゐるこれだけの事実の前後と中間とに、伝えられてゐる一日間の一切の事実を盛り込んで、矛盾が生じなければ、それで一切の事実が正確だと云ふことは証明させらねぬまでも、記載の信用は可なり高まるわけである。私は敢えてそれを試みた。そして其間に推測を逞くしたには相違いないが、余り暴力的な切盛や、人を馬鹿にした捏造はしなかった」

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!