小林秀雄にハマっている。人は便宜上、物の表面しか見ていない。そのことが達者な文章で綴られている。
「私達は、先ず何を置いても生活しなければならならず、生活をするに必要な関係の上で、事物を会得する様に強制されている。生活するとは行為する事だ。事物からの作用に、適切な反作用を以て応ずる為に、事物から有用な印象だけを受け取り、その他の印象は、漠然と私達に達するだけである。私達は物をはっきり見たり、聞いたり、自分達の心の底まで読んでいるつもりでいるが、物は、私達の行為を照らし出す為に、私達の感覚が広大無辺な外界から抽出した断片に過ぎず、心の底を知ると思っているものも、実はほんの心の表面をなでているので、つまり、なでるという行為に参与している事に過ぎない。自然は、私達の感覚や意識に、実用の為に単純化された観察しか引き渡してくれない。人間の行為にとって無用な事物の差異は消され、有用な類似は強調され、われわれの行為の行方は、前もって示されている。これが全人類が、今日まで通過して来た王道だ」
(「小林秀雄 全作品集 別巻1 感想(上」)/新潮社 p57〜58)
◎この文章の感想
人は見えたもの、聞けたもので、物の一部を便宜上なでているだけでだ。その点、たしかにAIは、人では叶わぬことを認識できるだろう(人の認識をフォローできるだろう)その意味でAIは有用である。がしかし、いずれにせよ、「人の広大無辺な感覚」について触れることは出来ない。