「本居宣長」は小林秀雄の晩年の作である。
小林秀雄によると、宣長の「古事記伝」は、荻生徂徠の「論語」解釈のアプローチを、参考にしているようである。
小林は、徂徠の言うところの「かんがえる」について解説している。
(記憶が確かなら)「かんがえる」には、ただの知識ではない、「身に得(う)る」というニュアンスがあるらしい。
西田幾多郎の「善の研究」は、それほど厚い本ではない。けれど、書きっぷりが難しく、少しづつしか読み進むことが、できやしない。
こういう一文がある。
「知るというのは、いわゆる体得の意味でなければならぬ」「これらの考えは希臘のプラトンまた印度のウパニシャッドの根本的な思想であって、善に対するも最深の思想であると思える」(p181)