羽生(以下、敬称省略)の本を好んで読んでいる。ベストセラーになっている本もある。
将棋人口がどのくらいなのか、知る由もない。ただ羽生の本は、将棋ファンだけでなく、それ以外にも広く読まれていると思う。
「羽生善治✕AI」を読んでいる。
羽生はAIについて、どう考えているのか。それを知りたくて、そのタイトルをみて図書館にリクエストした。
じっさいにページをめくってみると、本書は羽生の著作ではなかった。同業の長岡裕也により著されていた。
失礼ながら、長岡さんの名前を知らなかった。
八王子の「八王子将棋クラブ」では、羽生と筆者は年齢の差こそあれ、先輩・後輩だった。そして筆者は、年に一度の羽生の指導対局運営の手伝いをしている。
奨励会時代、筆者は進んで記録係を担当している。おのずと羽生の対局にも同席している。だが、それ以上の接点はなかった。
羽生との関わりはイキナリ始まる。「将棋を指しませんか?」— 2009年1月、羽生から電話で誘われる。
以来、著者と羽生は、おおよそ月に一度のペースで研究会が継続されている。
研究会について、羽生がどう思っているのか、著者は直接、たずねたことはない。ただし、推測はしている。
2008年12月の竜王戦、羽生は激戦の末、渡辺明竜王に敗れた。
「ただ言えることはこの(渡辺竜王による)「三連敗四連勝」で私の棋士としての人生観にも変化が訪れたのであった」(「大局観」/羽生善治 はしがき)
「おそらく竜王戦の第6局、第7局で渡辺さんの序盤戦術に対する対応に苦しめられたことで、何らかの対策が必要だと考えたのだろう。羽生さんは結論を出すとすぐに「行動」に移した。それが「将棋を指しませんか」という提案につながったと私は理解している」(「羽生善治✕AI」64ページ)
ちなみに筆者への勉強会への誘いは、竜王戦に敗れてから1か月後だ。
さて、本題である。
著者は羽生のAI観をどう見ているのか。
「羽生さんのソフトに対する姿勢の重要な部分を私なりに解釈すれば「ソフトは絶対であると妄信してはならない」ということである。(中略)重要なのは「自分がどう考えたか」という裏づけがないままにソフトの手を正しいと信じても、得るものは少ないし、将棋も強くならないということである」(同書152ページ)
「感想戦では、実際に局面を戻して駒を動かし、正確かつ深く局面を記憶しようとしている印象がある。(略)羽生さんは自分が重要だと判断した部分については、確実かつ正確に記憶に定着させることが重要と考えている。(略)もともと羽生さんの記憶力が優れていることは間違いないと思うのだが、こうした盤を使って駒を動かすアナログ形式の手法を重視しているのは、記憶への定着という狙いがあると私は考えている」(同書199ページ)
「人工知能が人間の存在意義を脅かしたとしても、それをいたずらに恐れたり、警戒したり、思い悩むのではなく、自分にできることを着実にこなし、あとは人間にとって価値があると思うことに向けて自分なりに努力していけばいい。それが羽生さんの生き方であると思う」(同書236ページ)