自由にことばを発すること

「まいにちブログを書いてるねぇ」と言われることがある。それ、せいかくにいえば、ほぼ毎日だけどま、ほぼ毎日書くことが、たいへんだと、おもわれていたりして

たしかに、それを目標にしていたなら、たいへんであるさすがに、つづけられない。

では、なぜ、ほぼまいにちブログを書くのか..?

それはアタマのなかに靄(モヤ)が発生するわけで。もう、それを吐きださずにはいられない。たまたま吐きだす方法が文章を書くことだったりするわけ。

なので、ブログで、あえてなにかを伝えたいわけではない。そもそも、個人的に、何かを伝えたい気持ちが薄い気さえする。

広告の文章を書くにあたり、はじめに教わることは、訴求対象を決めて書くことである。

訴求対象は英語が日本仕様に訳されたコトバで、原語ではTargetだとおもう。要は、購入する属性をイメージして、コピー・ライティングせよというかんじ。

ただ、じっさいには、ターゲットどおりにズバリ伝わるということなどありえない。じつは(おおきな声では言えないけれど)実務的には、あてずっぽうなのである。むしろ、新聞や雑誌といった媒体側のチェックを気にするケースが多い。

連邦議会によるアメリカ大統領選挙の結果承認が126日に行われた。選挙の不正を訴えるトランプ大統領は、議会開催に合わせホワイトハウス前で演説を行なった。そして演説中の言葉を議事堂への乱入ととらえた一部の群衆は、それを実行した。

議事堂の乱入を受けて、Twitter社はトランプ大統領のアカウントを一時停止した。そしてその後、それを永久停止した。

トランプはひんぱんにツイートしてきた大統領だ。それがツイート=つぶやきを示すものなのか、あるいは公的に訴求したいことなのか、個人的にはその一線があいまいだったとおもう。マスメディアからSNSに軸が移行している現在、そのへんは、もっと整理されてしかるべきだ。

YouTubeでケント・ギルバートさんが、こんかいのアメリカの国会議事堂乱入事件をうまく整理されていた。民主主義というのはコトバで言い合うもので、そのあとはルールに従い決着されるものである。なので国会議事堂への乱入は民主主義的ではないという。

いぜんNetflixでレーニンのドラマをみた。そのなかではレーニンの暴力革命も描かれていた。それも、考え方のひとつだろうけれど、個人的にはやはり民主主義が好きである。

それだけに、こんかいのアメリカの暴力的な国会議事堂乱入は大きな問題だとおもっている。

そして一方では、Twitter社によりトランプ大統領のアカントが永久停止され、次善策として利用されたTwitterではない他のSNSアプリが、こんどはiPhoneAndroid機からダウンロードできなくなり、さらには当該SNSのアプリ以外のブラウザーでも利用できなくするように、アマゾンはAWSの利用を停止した。

ひと握りの大手テック企業により、ひとりの言論空間(トランプの発言)を封鎖できてしまう。こちらも大きな問いを残したとおもう。

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!