「ガリヴァ旅行記」を読んだことがない。
夏目漱石はかなり読んでいる。けれど「ガリヴァ旅行記」を読んだこともないし、漱石が書いたスウィフトについての文章に触れたこともない。
「ガリヴァ旅行記」と「ロビンソン・クルーソー」は同時代の小説でしょう。
産業革命以前、イギリスの社会を支えたのはマニュファクチュアリング(工場制手工場)で、前者の小説は、当時の雰囲気が風刺されているそうな。
後者の小説は読んだことがある。無人島に流されたロビンソン・クルーソーはどんな資本があるか現状を書き出す。その際の資本とは、例えば難破船に残されていた小麦や、島でつかまえたヤギを指す。そして、その資本を(小麦をまけば1年後に小麦がとれるし、ヤギも増やせる)資産とし、無人島での生活の再生産を計画する。
イギリスでは、いわゆるエンクロジャーという運動があった。エンクロジャーとは、囲い込み。ほんらい農地であった、地方の囲い込まれた自分の土地に資本を投入し、設備をしつらえ、人を雇った。一方、地方より離農した人はロンドンに移り、工場の労働者になっていく。時代は下るが、ジャック・ロンドンは、地方から押し寄せた労働者の生活の悲惨さを描いている。
一方、日本はどうだったろう。江戸時代(たぶん)土地は領主のものだったでしょう。百姓は領主に、収穫した米の大半を年貢として差し出した。封建社会が終焉を迎え、明治になり(たぶん)土地は農民に開放された。しかし多くの農民は、地租改正による現金での税金の支払い、高利貸しへの金利の支払い等により土地を手放し、小作人になっていった。
土地を得た地主はイギリスのように投資して、工場として利益を得るようなことはしなかった。それは、農民への搾取から得た利益がとても大きかったからという説あり。