岸田首相の所信声明を途中まで聞いた。
岸田さんは「検討使」と揶揄されるほど「検討する」が目立つ。
声明では「検討する」という言葉はなかったようだ、たぶん。その代わり「議論を加速する」が数回あった。
「検討する」と「議論を加速する」には、どのような違いがあるのだろう。もしかすると官僚の言葉として違いがあるのかもしれない。でも、もしそうだとしても、所信声明の訴求対象は僕たち国民だ。なので、いずれにせよ、その分かりにくい点においては失格である。
「web3」という言葉があった。所信声明で盛り込まれることに、どういう意味があるのか。実行力があるのか、こちらもサッパシ分からない。
web3の理解とトレンドを追うために、かなりの時間を割いてきた。プログラミングのチュートリアルさえやった。web3はバズワードだと言っても良いと思う。
閉塞感のある現在、すがるように何か新しいものが求められている。僕は、その文脈においてweb3が位置づけられていると思っていて。
web3という言葉がある。それに意識高い系の人が反応する。ネット上でもweb3という言葉が拡散されている。で「ところでweb3って、なに?」である。そこには世の中を一変させる匂いがする。岸田政権まで、その匂いに反応している、というわけ。
プログラマーでなくとも、web3を理解するために、solidity(イーサリアムのプログラミング言語)をやってみるのは無意味ではない。
(オブジェクト指向のクラスのような)constractがコンパイルされ、イーサリアム上にデプロイされる。従来のサーバー・クライアントでも同様だが、こちらは分散された何万(?)のノードそれぞれにデプロイされたcontractが共有される。contract内の関数に入力される引数もノードで共有される。
察しの良い人ならお気づきだと思うが、従来のデータベースでは1か所のサーバーが動かなくなると、ユーザーはデータを得ることが出来なくなってしまう。サーバーに収集されたデータは、サーバーを運営する会社に自由に利用できてしまう。
それはそうなんだけけれど、従来のサーバー・クライアント形式で出来るアプリケーションを、わざわざブロックチェーンで構築することに、どういう意味があるのだろう。
ユーザーからしたら「同じじゃね?」である。
なかりポイントを絞って書いているけれど、web3は、インターネットの際の、たとえば電子メールやウェッブサイトのようなキラーアプリケーションがまだ出現していない状態である、と言っても良いと思う。じつはhttpのような標準化されたプロトコルもまだ存在しない。
ちなみに仮想通貨やNFTはトークンの一種なんだわ。