漱石と村上春樹の作品について。

江藤淳の「夏目漱石」を通読した。

江藤さんによると、漱石には少年時代に没頭した漢文の世界や、愛着していた南画が底流に流れているらしい。自身を超越した居場所を必要とした。

しかし漱石の生きた時代にはすでに、そのような場所は存在しない。個人主義の国であるイギリスに留学して以来、両者の違いが深刻になった。

漱石の執筆は晩年になってからである。

当時は、作者自身の女性問題や貧困を描写した、いわゆる自然文学の小説が盛んだった。

それに対して、漱石は架空の人物や物語を創作した。

「草枕」までの漱石は、自分の作ったフィクションの中にいることで(つまり小説を執筆している間は)そこに、漢文や南画に変わる居場所を見出していた。

しかし、修善寺での胃潰瘍の療養の様子を綴った「硝子戸の中」の執筆語、漱石の小説のアプローチは変わっていく。

漱石はエゴを描いた作家だと言われることがある。とくに漱石の後半の小説にみられる。

「こころ」は4、5回読んでいる。

先生は下宿のお嬢さんを好きになる。一方、実家から勘当され生活に困窮していたため下宿に招いたKもお嬢さんに好意を寄せる。Kは古人の求道的精神を目指していた。先生はお嬢さんを諦めさせるために、Kに対し「こころが揺れてしまうなど堕落ではないか」と言い放つ。そして、その言葉から数日後、Kは自殺してしまう。

先生は東京に大学に出てきたころ、故郷の父母の財産を叔父さんを信頼し任せていたが取られてしまう。以来、叔父を嫌い、故郷とは没交渉になってしまう。

しかしKとお嬢さんの件では、今度はKを自殺に追いやった可能性があり、先生は自分のエゴに苛まされることになる。

村上春樹も漱石と同様にエゴを描いた作家だと思う。

しかし漱石が関わることに対して相手を傷つけてしまうのに対し、村上さんの作品は、関わらないことで相手を傷つけてしまう。

昨日観た村上春樹原作の「ドライブ・マイ・カー」は、村上作品を広く深く読んで作られていると思った。原作の「ドライブ・マイ・カー」は編纂されている書籍はいま手元にないし内容の記憶もない。だが本映画を観終えたあと、何度も読んでいる「色彩のない多崎つくると巡礼の年」と共通点があると思った。漱石の「こころ」では先生とKが関わることで他者を深く傷つけているが、「ドライブ・マイ・カー」も「色彩のない多崎つくると巡礼の年」も逆に他者と関わらないことで他者を傷つけている。漱石と村上作品の違いは、前者には救いがないが、後者は他者と関わる心の旅を通じて、主人公の心は癒やされていく。

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!