もうずいぶん前になるなぁ。
とうじの僕は東芝のRupo(ワープロ)で原稿を書いていた。
そのころになると、法人組織ではなくても、フリーランスのデザイナーでもMacに手がとどくようになっていた。
RupoのデータはMacでは、そのまま読み込めなかった。なので、それ用のユーティリティをつかって、MS-DOSのデータに変換してからデザイナーに渡していた。デザイナーはMac上のPC-exchangeで、その文書ファイルを開いていたという。
で、この手間は、通信によって解消される。モデムを介して電話回線とワープロをつなぎ、先方に原稿を送るようになってゆく。さいしょのころは、送るたびに、「おー」っていうかんじだったなぁ。
つぎの「おー」というかんじは、ウェッブサイトをはじめてみたときです。
とうじ原宿駅で降りて事務所まで歩いて行っていた。たぶん、そのとき、看板かなんかで見かけたのかなぁ。原宿駅前にインターネットカフェがあってさ。なんとなく入ったんだとおもう。ブラウザーはMosaicだったんじゃないかなぁ。アドレスバーにURLを打ち込むと、内容は何だか分からないけれど、アメリカのウェッブがいきなり画面に出たりして。感動したんだから。