喩え(たとえ)をつかって説明されている文章に出会うことがある。
でも、ぼくは、喩えは詩や文学や宗教には有効かもしれないけれど、そのほかは、きっちり説明しきれないような気がしている。
そう思うようになったのは、プログラムについての説明で、ときどき出てくる「オブジェクト指向」についてネットで読んでみたことがキッカケである。
プログラマーなら、じっさいにプログラムをやっているので、できることはできるので、まぁ、そのとおりだ。
けれど、実際には、たずさわっていない。でも、それについて知りたい。そのような場合、自分でやってみるのが、いちばん良さそうだけれど、能力も時間もない。そういうとき人は文章にたよる。
とくに説明がむつかしい概念について、説明するほうは比喩を使いがちだし、読む方は比喩にたよりがちだ。喩えを読むことで、なんとなく満足してしまうけれど、じつは分かっていなかったりして。
ま、なかには、喩えなどつかわずに、きっちり説明されている場合もあるとおもう。読む方も、少しは、しがみつけた感じがする時がある。
その分野をみずから開発してきた人の文章を読むことは、少なくとも無駄にはならないと思うんだなぁ。