グレイト・ギャツビーは、作者であるフィッツジェラルドの象徴でしょう。
フィッツジェラルドでも、ギャツビーでもいいけれど、彼らは、じぶんの置かれている立場と、じぶんの内面のギャップに、ふりまわされている。
立場とじぶんのちがいは、だれにもあるにちがいない。ただし、ふつうは、そういうことは、うやむやのまま生活をおくっていくだろう。いわんや、日々の仕事や生活は忙しい。
そのことを承知のうえで、(コトバのニュアンスをたしかめるため)、ここでは、あえて、そういう心持ちに、「すれっからし」というコトバをあててみよう。
そうすることで、イノセンスというコトバが反射され、浮き上がってきやしないか。そうおもったわけ。けれど、あいかわらず、イノセンスは欧米のコトバで、日本語で、ぴったりしたコトバが見つからないんだなぁ。
押井守監督作品の「イノセンス」って、あるじゃない。あれ、どういうニュアンスなんだろう。