告白しておくけれど、かつて、英会話スクールにかよったことがある。げんざいも、ネットで英会話というハナシには、ちょっと、こころが、うごかされてしまう。
そのうえで、冷静になってみよう。日常的なこと、たとえばだよ、「あなたのお名前は」「きょうの天気は」的な会話をして、どうしたいというのか。そんなのって、どうでも、よくね?
ましてや、それ以上なことさえ、これからはディプラーニング(AI)をつうじて十分だろうよ。
そのようにかんがえてみると、外国語にかぎらず、なにかをやるというのは、モティベーションにすなおに、したがうのが、よろしい。
たとえば、オレはプログラムに夢中である。
で、そもそもコンピュータはアメリカ生まれで、いままでも、げんざいも、ずっとコンピュータならアメリカである。知りたいことは、英語でしか知りえない。どうにかしたい。だれかに聞いてみよう。必然的に英語となる。
好きな小説がある。よい翻訳はあるけれど、やはり原文で読みたい。そして、それについての感想を、その作家と同じ国、同じ言語をつかっているひとと意見交換してみたい。
ま、こんなかんじ。どうかねぇ。