ともすると、取材というのは、誰かの変わりに話を聞くことである。
ざっくり言ってしまえば、ライターは出版社、コピーライターなら企業の代行になる。
これは、先輩たち、そのまた先輩たちから、ずっと引き継がれている仕事だ。
がしかし、これは、現在そして、この先有効なのだろうか。ただの慣習になりつつありやしないか。
ただの慣習と言ったのは、なくなってしまっても、あんがい困らないのではないかということだ。
困るのは、それを、なにわいにしている職業の人々だ。あ、これ経済的な意味でネ。
経済的なことを左に置けば、ちがったアプローチもみえてくる。
180度、考えを逆立ちさせて、取材では収入を得ないとしてしまえば良いのである。
たとえば趣味でやるとか。
あるいは、(話を聞くことが目標ではなく)なにかをやるために、ただ人に聞いてみるとか。
ま、そのほかにも、考えられるだろう。
このように考えてしまう遠因はウェッブにある。
ウェッブは、新聞、雑誌、パンフレットといった媒体の価値を無色にしてしまった。
情報を紙媒体に求めなくても、砂浜の砂ほどあるウェッブの中から知りたい情報を検索してしまえば、よろしい。
あらためて取材などしなくても、求める情報は、ウェッブ上にあったりする。
もし可能なら、フェイスブックから直接、教えてほしい人にアタックするのもよい…
でも、これは、むつかしいだろうねぇ。やはり、こちらは、まだ媒体の力を使って取材する方が有力だとおもう。たとえば読売新聞の取材できましたとかネ。