グルーヴ感

グループLineをやっていて、グルーヴ感について話題になった。

僕の家にはテレビさえないけれど、ある番組で、宇多田ヒカルが取り上げられていたらしいんだわ。

インタビューにも応えていて、その中で、「さいきん家でバッハをよく聴いており、おお、こう来るか、という、意外な曲の展開がおもしろい」という感想があったそうな。

それに対して「それってグルーヴ感じゃないかなぁ」「クラッシックでグルーヴってユニークだよね」って返したわけ。

Lineは続き、さらに僕は、村上春樹さんが翻訳する際にはグルーヴ感を大切にしていること、それから元YMOのメンバーによる、グルーヴに関する対話のYouTubeのURLを貼り付けた。

僕は「ドライブ・マイ・カー」という映画が好きだ。

映画館で観て、先日、Amazon Prime Videoで観た。2回目ということになる。

そして今、原作を読んでいる。

村上さんの言うところのグルーヴ感とは、文章の書き方だと思っていた。

ひとむかしと違い、現在は端正な文章は読みづらい。なので時々、ゆるい文章を書くこと。ま、グルーヴ感が大切だと。

けれど「ドライブ・マイ・カー」を再読してみて、それは、あるところでグッと、その内容に惹きつけらること。それがグルーヴ感かな、と思ったりもした。