じぶんなりに文体ができあがると、文章は書きやすくなる、とおもう。どのくらいで、その文体がかたちになるのかは、個人差があるだろう。半年後かもしれないし、20年かかるかもしれない。

文体がなじまないまま書こうとすると、接続詞が気になってしまう。そして枝を折ったような文章ができあがってしまう。接続詞には、その効果に留意する必要があるとおもう。

司馬遼太郎は漱石について書いている。正岡子規についてのエッセイのなかで触れられているかもしれない。漱石の文章は、小説や随筆だけでなく、新聞や広告文まで自在に書ける文体だという。そうかんがえると、文体と、文章の書ける幅には関係があるように思えてくる。

村上春樹の文章は読みやすい。小説、エッセイ、旅行記だけでなく、翻訳も読みやすい。ぼくは、同氏が10代のころから英文学を英文のまま大量に読んできたことと、自身の書く文章のわかりやすさは関係しているとおもう。英文を読むことで、しらずしらず、コトバを分かりやすくする習い性がついたんだと推測している。そう言えば、漱石も英文をやたら読んだひとだよネ。

ちなみに村上春樹のばあい、リズムやグローヴ感も英文から身につけたんじゃないかねぇ。

◎参照

「ただ、皆さんは誰でもいちおう、自分自身の文体を持っているわけですよね。多かれ、少なかれ。巧いとか、下手だとか、強固か、強固じゃないかということはとりあえず別にして。そしてその文体のなかにはいろんな文章的要素が詰まっているわけですよ。たとえば語彙をどれだけ豊富に使うのかが文体のいちばん大事なことだと思っている人もいるし、どれだけわかりにくく書くのかということが大事なことだと思っている人もいますし、逆に、どれだけわかりやすくシンプルに書きたいとか、おもしろく書きたいとか。自分なりのポリシーというか、文章を書くときにプライオリティのトップにくるものが、それぞれにあるはずです。
僕の場合はそれはリズムなんです。呼吸と言い換えてもいいけれど、感じとしてはもうちょっと強いもの、つまりリズムですね。だかリムズということに関しては、僕は場合によってはテキストを僕なりに自由に作りかえます。(中略)
英語と日本語のリズム感というのは基礎から違いますし、テキストの文章をそのままのかたちで訳していくと、どうにも納得できない場合がある。そう感じた場合には、僕の独断でつなぎ換えたりします。」

「翻訳夜話」(P21から22)村上春樹/柴田元幸より