身ひとつというと、えーちゃんを、おもいうかべる。

えーちゃんとは、ある世代の熱烈なファンを持つ、矢沢永吉である。

えーちゃんのヒストリーがまとめられた「成り上がり」によると、えーちゃんは、広島の高校を卒業すると、卒業証書をやぶりすて夜汽車にのって上京した(んだったとおもう)。

途中、ハッとおもい、きゅうきょ横浜で降り、そこから、身ひとつで音楽をはじめる。そして、本書のタイトルとおり、成り上がっていく。ひとつ、よろしく !

せんじつ、身ひとつ、という言葉がおもいうかんだんだ。どうやら、ついさいきんまで、オレは身ひとつというのは、フツーだとおもっていた向きがある。

でも、冷徹におもってみると、世間一般、身ひとつで成り上がるのは、むつかしい。

ま、しいていえば、身ひとつは、わかさゆえの特権のような気がするし、じっさい、お笑い芸人やミュージシャン志望の、身ひとつ志向の若者も少なくないだろう。

でもじっさいは、どうだろう。保守はブ厚いのだネ。盤石といっていいほどの官僚群、親からの資産や人脈を引き継いでいる人たち、音楽やお笑い業界だって既存の権利関係があるだろう。ま、とにかく保守は、ブ厚い。

そんななかで、成り上がってきたえーちゃんは、やはりエライし、多くのひとがあこがれも、潜在的に、そういうものに対するものがあったのかもしれない。

すくなくとも、身ひとつで成功したひとは、エライとおもわれる。そんな、ふんいきに、もっとならなくっちゃね!