ネット上にあればいいや

人気のあるひとはツイッターは、おもしろいだろう。ない人(オレ)は、ちっとも、おもしろくない。

フォロー数は増えないし、リツイートや「いいね」など、基本的に無反応である。文字どおり、つぶやきである。

ま、ぼやきは、このへんにして。

ツイッターでは、とりあえずユーザーのタイムラインに表示された総数をチェックすることができる。言い方を変えれば、たまたま、つぶやきが目に入った人の人数が把握できる。

オレのばあい、20インプレッションとか30インプレッションといったところだ。

ところが、その250倍の7000以上のインプレッションになったときがある。

げんざい、NewsPicsを利用していて。NPはピックアップされた記事に対するコメントをシェアできるのが特徴である。オレのばあい、NPに対するコメントが同時に、ツイッターとフェイスブックにアップされるようにしている。

なので落合陽一の取材記事に対するコメントも、必然的にツイッターにアップされた。

そのときのツイッターのインプレッションが7000以上だったわけ。

オレはバカだから、そういうことがあると、落合さんに急に親近感がわいてきたりする。

YouTubeで映像を検索して視聴したり、書籍を読んだりしている。

そのなかで、こういうことを言っているんだなぁ。

たとえば、人は死んでしまうと、それ以降、その人の情報は引き継がれない。子どもたちはゼロから、またやり直すことになる。これは非常にムダである。

げんざいの教育のように、みんな同じことをやるのは究極のムダである。そんなものはすでにネット上にあるじゃないか。

このことばを、じぶんに引き寄せてみると「ははぁ」とおもうことがあったりする。

なにも自分の頭になくても、ネット上に情報さえあれば、まぁ、それでいいや的な。

ちょっとしたことを知りたければグーグルでよいし、もっと知りたければウィキペディアがある。プログラムは必要に応じって、GitHubを利用すればオッケー。こんなかんじネ。

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!