コロナ渦について

クラスターは耳なれない言葉だった。クラスター爆弾くらいしか思い浮かばなかった。

クラスター爆弾は、ひとつの弾丸が対象物に当たる直前、散乱するものでしょう。なので、クラスターには、散乱というニュアンスがあると思っていた。

辞書で調べてみると(散乱は、まったく見当ちがいではないけれど)散らばるというニュアンスより、むしろ、同類が多く集まっている状態を表していることが分かった。

その数については、とくに触れられていない。そのことを勘案すれば、新型コロナウィルス禍の現在、よく耳にするクラスター感染は、たとえ10万人でも10人でも、陽性が集合すれば、クラスター感染ということになってしまう、

がしかし、じっさい、そういうふうに言葉は使われていない。

経路が把握できている感染を、クラスター感染と呼び、数でいえば少人数である。観察者が把握できている、というのがポイントなのだから。

辞書には、ブドウの房が、クラスターを使った文例として記載されていて。クラスター感染は、ひと房が連なっているこちらのイメージに、むしろ近い、とおもう。

日本政府のコロナ対応の判断は、遅れているとおもう。

それは、クラスター感染に抑え込むことに成功していて(ぶどうの房のように経路が把握できていて)把握できないような状態、いわゆる市中感染に相が転移したとき、素早く対応できなかったためと言われている。

他国に住んだ経験がないけれど、どうだろう、日本は、このような相の移転に際して、パッと変わることが苦手ではないだろうか。

判断の遅れのもうひとつの遠因として、今年の東京オリンピック開催があったとおもう。

他国が、非常事態宣言を出している4月、日本は、オリンピックを延期するかどうかの判断に迫られていた。

だって、(実際には、判断にそこまで時間を掛けなかったけれど)当初、その判断に「遅くとも1か月」って言っていたんだぜ。

クラスター感染の掌握にこだわったこと。

7月のオリンピック開催にこだわったこと。

そして、もうひとつ言わせてもらえば、政府の政策決定者は、指数関数についてイメージを持つことが出来なかったのではないかしらん。

「指数・対数のはなし」(森毅)という本がある。むつかしくて、途中で投げ出してしまった一冊だ。だたし、その中にも、啓蒙させられる点があった。

ひとは、どうしても直感でわかる直線を利用しがちだが、自然界はむしろ指数で伸びていくことが多いという指摘だ。

で、今回のコロナ禍を考えてみると、横軸の時間に対して、縦軸の感染者の累計は、収束の兆しが見えるまで指数関数で伸びていく。

時間に対して、感染者の累計は直線 ‘/’で伸びるのではなく、’丿’のカタチで伸びていき、判断の遅れが予想以上に響いてくる。ま、そういうことね。