本人である担保

個人は明治以降、西欧から入ってきたコンセプトだとおもう。

「個人」という言葉自体、福沢諭吉と同世代の誰かが創作したに違いない。

西欧から入って来た多くの概念と同様、個人が日本に根ざしているかどうかは、心もとない。

最近は、個人情報が、やかましい。

そのことと関係あるけれど、個人の特定は思った以上に難しい。コロナ禍、定額給付金の支給で、そのことが図らずも露呈してしまった。

個人の同意を残すために、慣習として印鑑が用いられてきた。

しかし印鑑は偽造できてしまう。PhotoShopなどグラフィク系のアプリケーションを利用すれば、以前より、簡単に出来てしまうだろうよ。

IDとパスワードが盗まれ、本人になりすますニュースが後を立たない。

これは、ウェッブの立て付け(サーバー/クライアント方式)の不完全さから来るものだ。

このような不正を解決する。その方法は…ある。

ブロックチェーンだ。

個人ひとりひとりが一意の文字列を持ち、取引の履歴は一意の文字列をつなげていく。すくなくとも現在まで、ハッキングされた事実はない。

ただブロックチェーンのキラーアプリケーションといえば、仮想通貨しかない。

なので、本来のセキュアな取引への活用というより、ブロックチェーンは、仮想通貨=投資というイメージになってしまっている。

ウェッブは、新聞、テレビ、映画、広告といった旧来の情報産業を押しやっている。個人的には、情報革命と言ってしまいたい。

一方、ブロックチェーン技術が普及すれば、たとえば銀行や保険といった信用を付与していた存在が必要ではなくなり、個人同士が直接つながりセキュアな取引が出来ようになっていく。これ、信用・信頼革命なんですねぇ。

数年前、河野太郎・現行革大臣は、ヴィタリック・ブテリンと対談している。そのニュースに触れた時、生意気ながら「ああ、いい感度だなぁ」と思ったりした。

ちなみにヴィタリック・ブテリンとは、ブロックチェーンを使った取引を可能にしたイーサリアムを開発した青年(現在26歳)だ。

ともすると印鑑の廃止に目が行ってしまうけれど、

河野さんは、少なくとも、個人の認定にはブロックチェーンがとても有用なことは認識していると思うわけ。

ブロックチェーン

いままで、ビットコインは、ブロックチェーンのキラーアプリケーションだとおもっていた。

けれど、その認識はまちがっていて、

ブロックチェーンは、ビットコインの要素技術であるというのが、正確な言い方だ。

個人的には、資産としてもビットコインに興味はない。ただし、ためしに送金してみたい感じがある、という。

ブロックチェーンは、改ざんが不可能と言われていて、取引のデータは、つねに正しい。

そのことがデフォルトになった社会は、いまとは、ちがう感じになっていくと思うぜ。

インターネットとブロックチェーン

インターネットのプロトコルは、TCP/IP階層モデルにより構成されている。

そしてインターネットは、そもそも通話以外の、文書の送受信が行われていた。

現在では、ご存知のとおり、映像の送受信も遅滞なく行われている。

オリンピックイヤーでもある今年は、5G元年と言われている。

5Gが普及すれば、VRやARといった仮想化された映像も普及していくとおもう。

インターネットが膨大な情報を運ぶ宿命を持っている一方、

ブロックチェーンは、はなれた人(あるいは、はなれたモノ)どうしの信頼の創造が宿命である。

インターネット上の、たとえばウェッブサーバー/クライアント(ブラウザー)での買い物は、パスワードの盗難など、ブロックチェーンに比べるとセキュアではない。

ブロックチェーンのアプリケーションのひとつであるイーサリアムなら任意のルールをプログラムし、それに応じ、仮想通貨を支払うようなセキュアな立て付けを作ることができる。

一方でGAFAの勢いは止まらず、一方でブロックチェーンの新しい動きが出てくる。

まぁ、こんな感じ。

AmazonやGoogleに勝ち目はないので、日本はもうブロックチェーンくらいしかチャンスがないとおもうけれど、こちらもパッとしないよねぇ。