ナイアガラ

大瀧詠一がハッピーエンドのメンバーだったことくらいは知っていた。

YouTubeのおかげで大瀧詠一のその良さを知った。

ぼくらの世代、音楽といえば、言うまでもなくアメリカだった。

ハッピーエンドの世代は、ぼくらより、ひとまわり上の世代で、アメリカの音楽に対して、またひと味ちがう、あたたかみのある親近感を感じていたのではないだろうか。

なにかで、ハッピーエンド当時の細野晴臣は、アメリカ音楽に対抗しうる日本音楽を目指していた話を、読んだことがある。

けれど、YoutubeやSpotifyのおかげで、世界中の音楽は相対化され、じつはハッピーエンドは、十分に世界レベルであった。そんな感想を持っている。じっさい、ハッピーエンドは世界中でも評価が高いもんね。

以下のYouTubeは、大滝詠一のナイアガラに関する対談。お相手は、なんと渋谷陽一〜。

情報の「経路」

N国党が話題になっている。同党の党首や幹事長の発言をチェックしてみた。

着目しているのは、国内の既存のメディアをYouTuybeで相対化している点だ。

日本は変わらないと言われて久しい。

既存のメディアによる国内の情報空間が当たり前のように存在し、そこから抜け出せない状態が続いているからだ。じつは、変わらない根本は、そこにある。そんなことを気づかせてくれた。

「NHKをぶっこわす」の対象は文字通りNHKだけれど、一方で、NHKという言葉は、既存メディア、ひいては既存の日本の象徴でもあるわわけね。

情報の「経路」について考えたりしている。

すいぶん昔から、既存のものを変えようとチャレンジして来た人がいる。しかし、それは、すべて成功はしていない。でも、それは、情報の「経路」がなかったから、と思わなくもないわけネ。

新聞はニュースをフォローしきれない

生活とかけ離れた事がらについて知ることは、むつかしい。それについては新聞がフォローしてくれる、

というのは、いまや幻想である。

新聞は、とっていない。ただ。気になるトピックについて、図書館でまとめて読むことは、ある。

かつては、きマジメに目をとおしていた。がしかし、いつかしら、新聞というのは、あたらしいことについてフォローしきれていないことき気づいてしまった。

それは、やはりウェッブサイトやSNSの出現がとても大きい。その中で、くわしい人が発信する情報に触れたほうが、新聞より充実している。

YouTubeアップ編集/削除

YouTubeの編集の画面は、どこにあるのか、わかりずらい、よね。

じつは、このブログ、データベース >>検索の意味もありまして。これ、備忘録ねー。

①右上の「じぶんのアカウント」のアイコンをクリック



側のダッシュボードから「YouTube Studio(ベータ版)」をクリック。


③動画をクリック。


④3点リーダをクリック


⑤「タイトルと説明を編集」「削除」などを選ぶ。

情報空間の2極化

先日のブログで書いたとおり、ツイッターなどのSNS、そしてYouTubeは、既存のメディアの諸問題をクリアにしている。

明示されていないけれど、いま話題の立花孝志も、メンタリストDaigoも、そのことに触れている、とおもう。

YouTubeをよく見ている人の中なら、既存のメディアを相対化できるでしょう。

一方、新聞やテレビ派の人たちは、井戸の中のカエルのように、その機会さえ得ることができない。

かつて、ヤンキーという言葉が話題になった。

髪の毛を金色の染めたり、盗んだバイクでかけ抜けるような類ではなく、

学校を卒業して同じ地域で同じ仲間とずっと付き合っていくような人を、ヤンキーと呼ぶ。

65歳以上の人口は、いまや、日本の人口の1/3を占めている。

そして、これは自分の想定だけれど、ヤンキーも総人口の1/3だろう。

両者を合わせて2/3。これが、ぼくなりの「既存メディア派」の推定値だ。

そして、この2/3と、SNS・YouTube派は、情報空間が異次元である。ま、そういうことを言いたいわけネ。

Youtubeへの配信

iPhoneの音声が収録できないままだ。アップルストアに診てもらいに行った。修復ではなく交換になると言われた。ただ現状のiPhone6の交換は、ほぼ現実的ではないと言われた。ま、「いいかげん、新しいiPhoneに交換しろよ」という暗黙の指示だわな。

そもそも音声の収録など必要ではなかった。けれど、これから必要になっていく。Youtubeの配信として。

たしかに、いままでもYouTubeには動画をアップしていた。だが「これからユーチューバーになるんだ」というのは大げさな言い方で、少なくとも、声や顔を出した映像をアップしていく予定だ。

古いiPhoneのほか、きのうのブログで書いたラズベリーパイ(Rasberry pi)の活用も考え、試しもした。

すなわち、webカメラをつなぎ、ラズベリーパイをVNCサーバにし…Macにwebカメラからの映像を映し出す…そして、その映像をQuickTinmeでキャプチャーしようというアイデアだ。

結論から言うと、Macに送られてくる映像は、画像が上からドッ、ドッ、ドッとコマ送りされて表示されていく状況で、Youtubeには当然、アップできない映像状況なわけ。

なんてことはない。Macに直接、ウェッブカメラを接続しちまえば良いことを、iPhone6での撮影仮説、ラズベリーパイでの撮影仮説を経て、気づいちまった。

あたらしいことを、やるには、ムダが必要なんですねぇ。やれ、やれ。

SNSやYouTubeは「景色」を変えた

取材を記事にするにあたって、その音源を文字にすることは、ある。

いわゆる、文字起こし、だね。

けれど、それが、そのまま記事になるわけでは、ない。

新聞や雑誌はページの広さやページ数が限られている。それが、理由のひとつ。

ふたつめは、はなし言葉をそのまま文字にすると、不自然な文章になってしまうからだね。

たとえば同じ内容がなんども繰り返されたり、発した言葉が何を意味するのか不明なことが、多々ある。

みっつめの理由は、ある意味、より切実な問題なのかも知れない。

それはスポンサー(お金を出す人や企業)の任意の意向により、文章の構成が左右されてしまうことである。

原稿を書く者が気をつかう、いわゆる忖度(そんたく)してしまうことだって、十分にある。

TwitterなどのSNS、そしてYutubeは、これらの問題を、軽々と、超えてしまった感があるわけで。

この動きが、さらに前に進むかどうかは、SNSやYouTubeのユーザーの裾野の広がりにかかっているとおもう。

ま、でもクソジジィたちは、あいかわらず、いままでと変わらないんだろうなぁ..

たとえば、そのなかの1割でも、新聞やテレビから、SNSやYouTube系統に移ってくれれば、だいぶ違うだろうよ。どういうことが契機になるだろう?

SNSの影響の大きさ

いちじき小説をよく読んだ。

それでも太宰治と三島由紀夫は数冊ていどしか読んでいない。

盾の会での三島由紀夫を演じた映画を観たことがある。

三島は、自衛隊陸軍の市ヶ谷駐屯地に立て籠もり、建物の上から演説をした。

その主張については、よく知らない。三島は本気で出来ると思っていたのか、自衛隊陸軍で主張すること自体が目的だったのかも知らない。

ただ、その姿は時代を象徴する歴史的映像として残ってはいるものの、三島の主張が広がる経路は現在と比べ、極めて細かった。

もし現在、三島が生きていたら、ツイッターなどのSNSや、YouTubeを活用することが出来た。

三島の主張が一歩も実現できなかったことに比べ、たとえばN国党のワン・イシューが実現されたなら、芸術面や思想面の足跡はさておき、現実において、三島より実績が残せたと言っても良いと思う。

N国党云々というより、SNSというものは、やはり大きな変化を、うながしていると思うのだが、どうだろう。