ひさしぶりに村上春樹を読んでいる。「約束された場所」である。

目には見えないけれど、どの国にもメインストリームがあるでしょう。

日本も例外ではない。

湯浅誠は「2008年(平成20年)末に日比谷公園で行われた「年越し派遣村の村長」として知られている」(wikipediaより引用)。

湯浅は、日本の社会はスベリ台のようだと評していたと思う。メインストリームから外れてしまうと、スベリ台をすべるように一気に地面まで下りてしまう。ほかの社会保障が充実している国に比べて、社会の層が薄いという。

「約束された場所」は、著者が(当時の)オウムの信者、あるいは元信者にインタビューして文章にまとめた一冊だ。

インタビュイー(インタビューを受けたひと)は、職種・経緯など、さまざま立場にいたひとたちである。

立場はちがうのだけれど、気持ち(精神)の拠り所を求めている点では、ほぼ一致している、と思う。

そして、いったん入信してしまうと、脱退したあと、日本は彼らを受け入れるような包容力のある社会になっていない、ともおもう。

たまたま「約束された場所」を読んているので、オウムを例に出しているけれど、

一般的にいっても、メインストリームに入れないひと、あるいは途中から外れたひとにとって、居場所が定まらないところがある。要は、社会の厚みが薄いんだろう、ということネ。