太古のむかし、ぼくたちの祖先は、どんぐりを拾って生きていた。

拾って、たべて、はい終わりみたいな。

そんな、くらしぶりだから、ひまな時間も多かった。

ひまつぶしに、だれとはなく、どんぐりを土に埋めてもみただろう。

そして、実う植えれば、育ち、また実をつけることは、体験で分かるようになっていった。

ぼくたちの祖先は、どんぐりだけでなく、いろんな実や種を植えてみた。

なかには、げんざいでいう引きこもりみたいなヤツもいただろう。

みんなで、どんぐりを拾いに行きもせず、いのししの狩りにも参加しない。そのかわり実や種ばかり植えていたりして。

ま、それにしても、自然相手なので、結果が出るのに1年はかかった。そのほとんどは、失敗におわった。

一方、とうじのひとの寿命は短く、どの実や種がうまく育ち、食べられるか、1つでも分かれば、恩の字だったろう。

しかも、とうじは、伝える術もなかった。なので、せっかくの成果も引き継がれない。子や孫たちは、また、やり直しみたいな。

そうかんがえると、稲や麦に出会い、それが普及するまでに、エラい時間を要したことは、ま、想像できたりするわけ。

後世の、ものつくりは、どうだろう。

前述したように、どの植物が育てやすく、食べられるのかを知ることは、自然まかせなので時間がかかる。

それにくらべ、ものつくりの試行錯誤は、ひとまかせである。

熱中すれば、どんどん開発はすすむ。

そして、その頃になれば、ことばも発達していたし、さらに紙をつかい、その情報は保存することができた。16世紀以降は、印刷により広く知らしめることもできた。

げんざいは情報化社会への移行期でしょう。

個人的には、そのはじまりは、コンピュータが発明された70年から80年前からだと認定している。

そしてそのスピードは、農業化や工業化よりもずっと速い。

工業製品の試作品は、金型をつくり、射出成形を行なう…いったように、じかんがかかってしまう。

それにくらべ、たとえばソフトウェアのトライ&エラーは、ものに規定されない。

クラウド上ですぐに試せるし、しかも、会ったこともないひとのボランティアを得ることさえできる。

難点は情報が交錯してしまい、おうおうにして、ひとの認知を越えてしまうことなんだわ。

でも、認知という点では、ひとよりAIの方が、だんぜん優れているわけで。そのへんは、かなり整理されてくるんじゃないのかねぇ。

ま、いずれにせよ、子や孫の世代は、情報化まっただ中の社会に生きると思うんだネ。まったく、うらやましいぜ。

「電脳コイル」「攻殻機動隊」「ブレードランナー2049」…おもしろい世界観だよねぇ。スピルバーグの「レディ・プレイ1」も、おもしろいみたい。

以上、おもいつくままに書きなぐってみましたー!