「こころの育て方」を読んでいる。
対象を違う角度から観察する大切さが説かれている。
時として目の前ではなく俯瞰する視点も求められる。
それは、たとえば直感的に理解できる整数をさらに広げて、虚数を含む複素数として捉える感じとは違う。
何を言いたいのかというと、ダライ・ラマの言う観察は経験を指している。
ここで言う経験とは、山に登るような体の動きを指しているわけではない。
ベルクソンはとても難解だ。小林秀雄の解説も、これもまた難解である。
それに比べると、ベルクソンを引用した講演は分かりやすい。
ある夫人が、戦場で死ぬ夫の姿を夢で見た。
ありありとしていて、しかも一緒に戦い死を看取った人による状況の説明と一致していた。
周りの人たちは偶然の一致だと言う。しかしベルクソンは、その夫人が経験したことだと言う。
ダライ・ラマの言うところの経験とは、一般的なそれよりむしろ、こちらの方が近い感じ。