すでにある慣習の上で仕事をするのは易しい。ただし慣習は時間と伴に時代遅れになってゆく。かくして、出来た当時合理的だったことも無駄が多くなってゆく。不要にさえなってゆく。
しかし旧来のものは、なかなか無くならない。とてもシブトイ。
それは、一部例外の人を除いてほとんどの人が同じことを繰り返したい性(サガ)を持っているからであり、
一方で国が旧来のものを維持するために毎年、文字通り国家規模の助成金や補助金を支給するからだ。
国の本予算はざっくり言って100兆円である。その半分は国債で賄われている。国債の多くは銀行を介して日銀に保有される。
(日銀のバランスシートについては時間を見つけてチェックしてみよう)
国にとって、政策金利が低いことは大切である。
国債の金利の支払いより、国が保有している資産から得られる利益が上回れば、日本国はバランスしているという説がある。
また国にも保険がかけられていて、その利率は国の信頼のメルクマールになっている(急上昇すると不信になる)
回りくどくなってしまった。
旧来のものが、いっそ厳しくなるのは、国の財政が非常に厳しくなった時だと思っていて。そうなれば逆に新しい息吹が出てくると思っている。
オッケー、歴史的なハナシをしようか。
明治元年は1868年である。現在は154年目に当たる。
切りの良いように、元年から100年後は1968年になる。
そして1968年からバブルの始まる1986年までの20年間が日本の黄金期だと思っている。ちなみに、その後、5年間続くバブルは徒花(アダバナ)である。
なにを言いたいのかというと、明治に海外から知識を入れ、それが花開くのに100年かかり、その盛りが20年間続いたという、ま、個人的な仮説である。
この120年間を工業社会という。
梅棹忠夫さんは50年(くらい前かな?)情報産業社会というコンセプトを唱えていた。世界的な嚆矢とも言えそうだけれど、日本は工業化から情報化社会に移ることに成功したとは言えない。
バブルがあり、その処理にエネルギを割かざるを得なかったし、官民ともに、旧来の工業中心の社会を守旧した。
工業は資本主義と一体でしょう。
資本主義については、明治に入る前の江戸時代の資本の蓄積の厚さが功を奏したと思う。ここでは詳細に触れないが、下準備が出来ていた。
ケヴィン・ケリーによると、これから50年間は「AIファースト」にならざるを得ないという。100年単位でみれば「ゲノムファースト」となる。
いずれ日本の財政は息詰まる、と思う。
それまでに少しでも下準備を用意しておきた方が良いよね。