鈴木康之さんの書籍が手元にある。広告のボディコピーが書かれている。
1冊は、僕らの世代のコピーライターにとって教科書になっている。紹介されている文案を紙に清書さえした。
もう1冊は、今回、初めて読んだ書籍となっている。
目に止まったボディコピーをゆっくり読んだ。
土屋耕一さんは、コピーライターをアンパンに例えている(大福だったかな?)
そのこころは、中にアン(案)が入っていて、ふっくらしたパン(文章)で包まれている。
本書で味わったボディコピーには、ちゃんとした、美味しいアンパンになっていた。
ま、しかしだよ、たまたま僕がコピーライターで、しかも本書に出会っためぐり合わせで熟読したけれど、
現実にボディコピーを読む人は、どのくらい居るだろう。皆無といっても過言ではないだろう。
昨日のブログでは、文章を読む可処分時間の減少について触れた。
それと併せ、コピーライティングは既に趣味の領域に思えて来たりして。
あえてひとつあげれば、なにかの戦術を伝えるために、案(アン)を入れたパン(文章)は有効かも知れない。その際にはストーリィが必要。