文章を、なにわいにして来た場合

遅読である。そして、ページをめくり気になった本は最後まで読み切っている。

小説にはプロットがある。プロットに迷い込んだとき、前のページまでめくる。これがまた楽しい。

NetFlixでは、映画・アニメ・ドキュメンタリーなど多彩な映像が楽しめる。本と同様に、映像にも「?」という場面が多々ある。その際には映像は不便だ。本を読むように、自分のペース(頭の回転)で見ることが出来ないし、前のページまで戻ることは困難だ。逆戻しして、確認しながら映像を見るのはシンドい。

誰でも1日24時間だ。NetFlix・YouTube・TikTokといった映像系、ポッドキャスト、ゲームなど、かつてないライバルに勢いがあり、読書は苦戦を強いられている。

FaceBookやNoteの文章、Twitterといった文に頻繁に触れるけれど、読書とは趣が異なる。少なくとも味わう感じは、ない。

ホリエモンはユーチューブで「文章を読める人は一割くらい」ということを割と強い口調で言っている。自身のブログやTwitterからの実体験からの感想だと思う。フォロワー数の少ない僕には実感がないけれど、ホリエモンの言葉は信頼している。

・文章を読む可処分時間が減少している。
・意外に文章を読める人は少ない。

そうなると、例えば旧来の作家、ノンフェクションライター、エッセイスト、それにコピーライターは、どういう戦術を持ったら良いだろう?

この話は、大切な話なので、改めて書こうと思っている(たぶん)

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!