ライティングを、もう数十年、つづけている。
文書を書くことは苦手だった。
「名作コピー年鑑」(だったかな?)というものがあった。
そこには著者により、えりすぐられた広告の文案がのせられていた。
そのなかから、気になった文案を書き写したりもした。
いまおもっても、それが役にたったという気がしない。
1年前くらい前かねぇ。N高校(ネットを活用した高校)の掲示板に、文章の書き方についての質問がありまして。
それにたいして、先生が回答していた。主旨は「矛盾なく、論理的に書く」というものだったとおもう。
先生の視点、つまり受験にさいするアドバイスにたいして、じぶんなりに、ちがう視点で、アドバイスをしてみた。
「文章を書いてみると、じぶんの思っていることと、なにか違うとおもうでしょう。もういちど書き直してみる。なんどでも書き直してみる。数年かもしれないし、数十年かもしれないけれど、それをつづけていると、じぶんの文体ができてゆく。そして、その文体により、書ける範囲が広がったり、深掘りできたりする」
ま、これでは受験に即したアドバイスにはならない。だいいち、受験日までに間にあわないもんナ。
受験にさいしては「矛盾なく、論理的に書く」のような、なにか目的にそった書き方をこころがけたほうが、よさそうである。
オッケー。じぶんのはなしにもどそう。
ながくやっていると、それが習い性のようになってしまう。
そうなると、あたらしいことをやるときにも、しらずしらず、そこに立脚したアプローチをとってしまう。
いままでのこととくらべ、否定的になるばあいもあるし、いままでのものと比較して、あたらしいものを、ながめたりもする。
これ、けっこう、しまつがわるいのよねー。
とくに、文章を書くことは、地べたをはいながら、けっきょく、おなじ場所にいるような作業だから、それが習慣になっていると、なおさら、しまつがわるい。
それにたいする、こたえは、こうである。
(うまくいえないけれど)それは、いままでのことを抽象化して、あたらしいものと同じ棚に入れてしまうという、ま、そんな かんじなんだ。
はっきりしないものに抽象化するというのがポイントね〜