ドストエフスキーをよく読んだ時期がある。
「カラマーゾフの兄弟」そして「悪霊」が、おもしろかった記憶がある。
ドストエフスキーの小説には、悪が描かれていたように思う。
けれど、本人が、そんなふうには思いもしない「ふつう感」の方が、「悪霊」で明示的に描かれるより、よほど悪が存在していると思ったりもする。
それは、ある人にとっては、ほんとうに、ふつうのことなのに、一方のある人にとっては、差別的だったり、暴力的だったり、傷つけられたり、ま、そういう感じだ。
もうひとつの視点。
善悪など、まったく関係なく、人は「さらわれて」しまう。
神戸の震災、オウムによる地下鉄サリン事件、東日本大震災…
これは想像だけれど、鎌倉時代というのは、人には、およびも付かないようなことに、さらわれた時期だったんじゃないか。
親鸞ほか、現在まで続く宗教は、生まれるべきして生まれたみたいな。
ニュースによると、川崎で行きずりの殺傷事件があったようだ。
被害に会われた方のご冥福を祈るばかりだけれど…それにしても、である。