きのうのブログで、吉本さんの質問のやりとりから「じぶんのこころと、正しいこと」の矛盾について引用した。
漱石の「こころ」は愛読書である。何度も読み返している。当ブログで村上春樹の「多崎つくる」と比較し、こころの喪失感についても書いている。
漱石のこころは中心があるモダンなもので、一方の村上春樹のそれには、中心がないというふうに。
(エゴについてクリアでないので、なんだけれど)これは、たぶんエゴの問題だ。
そして「じぶんのこころと、正しいこと」とエゴは関係ある気がしている。漱石の「こころ」の先生について、そういう読み方ができるかもネ。