「真木準コピー新発売。」という本を持っている。愛読もしている。
あらためて読み返してみた。かつての「いいなぁ」はなくなっていた。有効ではないのではとさえ、おもってしまった。
しかし、真木さん言えば、かつて「コピーライター四天王」(だったかな?)と言われるほど、さかんであり、そのことばは、訴求力を持っていた。
そう言えば、村上春樹もいぜんほど夢中で読まないし、
これは、個人的な感覚が変容しているからだろうし、一方で「みんなもそうじゃない?」とおもったりもする。
昔も今も、歳月がたつというのは、そういうことさ、でもあり、
一方、それは、かつてのそれとは、ちがう側面もあるかもしれない。
それは、新たな情報経路や、情報空間の爆発的な広がりである。
YouTubeなら、ひとりで放送局がつくれてしまう。そしてファンが多い、いわゆるユーチューバーなら、映像に広告を貼れば、とても大きな収益を得ることができる。これは「ひとり広告代理店」だよねぇ。
そして、そのとき語られることばは、かつてのことばとはちがう。そうおもっている。
インスタグラムでの写真でのアプローチ、ツイッターでのつぶやきなども、かつてとはちがう伝わり方をしている。
1980年代前半のコピーライターブームのことばどもは、テレビ、新聞、雑誌と親和性の高さから来ているかも。これが、きょうの俺の仮説だったりする。