そう見てしまえば、文学作品はすべて自我を書いているように思えてくる。
そもそも、自我と関係のある意識が連続しなくなることは、ヒトにとっては死と同様であるし(「文芸の哲学的基礎」/夏目漱石)、
一方では、悩みは自我のある所以だ。
宗教で言えば、キリスト教では自我を超える存在が示されているし、
チベット仏教では自我は存在せず、それは過去からの機縁である(自我は習慣である)と、まぁ、そのように言っていると思う。
ヒトは、つい自分の認識が正しいと思ってしまう。
森毅先生の著作によると、ヒトは、ものごとを連続した直線的なこととして認識しがちだが、
しかし、自然の多くは指数関数的なものらしい。
たしかに時間に対するコロナの陽性患者数の増え方は、指数関数的なわけで。ということは政策決定者には、疫学の専門家の意見を参考にした素早い判断と行動が求められていたりする、よね〜