法律は、本来、国民から選ばれた国会議員の手で作成されるもの…だよね?
しかし、じっさいは、まったくと言ってよいほど、官僚たちにより提案される閣法になっている。
新聞は、あいかわらず読者の啓蒙を自明としているし、また官僚がリリースした情報を反証もせず、そのまま流している。
そのことは空気のように当たり前になっていて、
日々忙しく、既存の情報空間にどっぷり浸かっていれば、そのことを峻別する機会はない、と言ってよいだろう。
さいわい、SNSやYouTubeにより情報空間は拡がり、それについてナイーヴな人が、少しすつ増えている、とおもう。
しかしだよ、そもそも、何故こういう立て付けになっているのだろうか..?
フランスやロシアの革命では、既存の勢力のポジションや財産は、根こそぎ削がれてしまった感がある。
それに対し、明治維新では、旧来の武士の多くは、そのまま明治政府の官僚になったわけだし、
一方、新聞の始まりは、明治政府の施策の世論の支持が目的とされている(「日本における近代国家の成立」P151)
つまり明治維新の際に官僚主導がカタチつくられ、その遺伝子が脈々続いているという…これ、仮説ネ。