革命というと、なにやらイサマシイ感じがするわけで。
革命とは「孟子」にみられる熟語である、というのは、当てずうぽうに言っていて、合っているかも知れないし、間違っているかもしれない。
Netflixで、ロシア革命の時代を描いたドラマを観たことがある。
ロシア皇帝は幽閉され、皇帝一家は暗殺されたけれど、月日が経ち、奇跡的に残った(かもしれない)皇女が発見されるというストーリィだった。
ジョージ・オーウェルは大好きな作家だ。「パリ・ロンドン放浪記」という手記がある。
タイトル通り、オーウェルはパリとロンドンを放浪している。
その際に、オーウェルは、ロシアでかなりの地位にいたが、革命によりホームレスになった人と出会う。
この2例だけで言ってしまうのも、かなり強引だけれど、革命というのは、社会の上と下の勢力が引っくり返るほど、強烈な運動だと思ったりもする。
それに比べ、日本はどうだろう。
大化の改新であり、明治維新であり、革命という言葉は使われていない。
福沢諭吉の伝記によると、幕末の、佐幕派の武士の多くは、数年たち、明治政府の役人として仕えている。
自分で手を上げて入省し、明治政府も、それを認めただろう。
第二次世界大戦では「鬼畜米兵」とか言っていたらしいけれど、終戦を迎え、日本は親米になったりして。
そう言えば、白洲次郎は「プリンシプルにない日本」って言っていたなぁ。
西欧のように、社会の上下が引っくり返るようにはならなかったのは、日本人の、このプリンシプルのなさが、ひとつの要因かも知れないけれど、
一方では、「同調圧力」は最近のキーワードのひとつ。