福沢諭吉は「独立自尊」、夏目漱石は「私の個人主義」である。
似たような旗印が立てられている。がしかし二人の印象は、ずいぶん異なる。
その違いは、どこにあるのか。これは、あくまでも仮説だ。
ひとつは、世代の違いから来ている説。
福沢は1835年(天保5年)に誕生し、一方の漱石は1867年(慶応3年)に生まれている。32歳、誕生月まで勘案すると、福沢の方が約33歳年上となっている。親子ほどの年齢差がある。
福沢はもちろん、加藤弘蔵、西周といった同世代の人たちは、西欧の、日本にはないコンセプトを日本語に考案していった。
権利、観察、実験、経験、実証、倫理、論理、演繹、宗教、自由…
自分たちの創作した言葉がご本尊のようなものなので、その点、彼らには悩みが少なかった、
と言いたい所がけれど、漱石は英文をものすごく読めた人のようだし、日本語のボキャブラリーも多いので、先代の案訳とは違う日本語にしたり、漱石の時代の西欧の新しいコンセプトを自ら日本語にしても良さそうなわけで..この線は、ちょっとなぁ…
福沢諭吉はドシドシ、西欧の書物を翻訳していった。(失礼ながら)機械的に翻訳していったのかも知れない、ジュンヌは、社会や経済についてではなかっただろうか。
一方の漱石は、(福沢は3度西欧に長期滞在しているけれど)イギリスに留学し生活した体験を持っている。研究対象は文学だった。この違いから来ていると..前述に比べたら、こちらの方が良い線っぽいですかねぇ。
もうひとつ、両人の幼児体験や性格によるものという説もある。
評論家の吉本隆明は、漱石の幼児体験は不安定だったと指摘している。
一方、福沢諭吉のそれは「福翁自伝」を読めば分かる通り、家族が仲良く調和が取れていたようだ。
性格については、両人の著作を読めば、一方は大らかで、一方の(とりわけ「こころ」以降の漱石の)繊細さは、その行間から読み取れる。
まだ書き足りないけれど、本日は、これくらいで〜