とても、むつかしい書籍があったとしようか。
それを読むことができない、
いや、1日に何ページというふうにページをめくりながら、いちおう読了できる。
そのとき、その本には近づいてはいないけれど、
それでも、じぶんなりの、かぼそい経路による理解をしていなくはない。
ま、カンタンに言ってしまえば、誤解や曲解だね。
いっけん、誤解や曲解はよくない印象もあるかもしれない。
でも一方で、それで良いとも思っている。
そもそも読書により、書いた人の考えを正確に読むなど、できやしなわけで。
一所懸命に解答を見つけようとするのは、学校教育の弊害だと思ったりして。
もちろん、そのむつかしい書籍には、こう書いているとは人に言わないように、
もし言うににしても、「じぶんは、こう読んだよ」という前置きは、必須。