理解、理性、合理的…「理」という一文字には、どんなニュアンスがあるんだろう?
明治に入り、海外から数多くの概念が入ってきた。
先人たちは大あわてで、漢文や仏典、ときには漢字による熟語を創作して、海外からの概念の訳とした。
「理」が使われている多くの言葉も、その時以来、使われているんだと思っている。
(そのほかの言葉も同様だけどね)
「折りたく柴の記」(新井白石・桑原武夫訳/中央公論社)の「格物」の注釈は以下の通りである。
◎格物
朱子学の根本理論。それぞれの事物に即して、それぞれの理を極めようとすること。理は自然界、人間界を貫く大法則。
ともすると、現在の「理」には、数値を優先する感じがあるけれど、本来の「理」には(大げさに言ってしまえば宇宙的な)広がりのある言葉かもしれない。
現在の数値的な「理」は、ひとつの方便だと思っていて。さらに言えば、AI、ブロックチェーンも、ひとつの方便だね。
位置づけができ、ちょっと、すっきりした〜。
◎方便
仏教で、人を真の教えに導くための仮の手段。