大正生まれの政治学者や社会学者の大家、あるいは歴史小説家は、戦争に行った世代でしょう。
自分なりに少しだけ、いくつかの著作に触れてみて、この世代の方々は大きなフレームからの視座をとっていると思っている。
大きなフレームとは、マックス・ヴェーバーだったり(ページをめくったことさえないけれど)カール・マルクスだったりする。
年齢は父親より上の世代で、重なり合う感じはもっていない。書物を通じて「対話」するといった感じ。
(僕より上の世代になるけれど)学生運動をやった経験のある世代とは同時代を生きていて。僕らの世代はもちろん、多くの全共闘世代でさえ、大きなフレームに視座を置いてはいない。逆に、大きなフレームに対し、あえて意識的に反発している感じさえある。
村上春樹のファンである。
村上さんの小説の「失われた人が回復しようとするストーリィ」「失われた人が次世代に引き継ごうとするストーリィ」が、とりわけ個人的に、興味深い。
糸井(重里)さんは、「好き」を切り口にした広告のキャッチフレーズが印象的だ。そればかりでなく、「好き」を深堀りした商品を開発し、さらには、「好き」を軸にした会社を上場させている。僭越ながら言わして頂ければ、とても深いレベルの活動をされていると思っている。